瞑想って怪しいもの?

亀治中陽子です。

瞑想のイメージはどのようなものを持っていますか?
「怪しい」「宗教っぽい」「現実逃避の手段」「何も変わらないもの」など
一般的に敬遠されがちで、やっても変化をすぐに感じれないと思われてるかもしれません。

仏教性を極力なくした「マインドフルネス」が注目されてから
徐々に幅広く、その延長線上に瞑想も受け入れられるようになってきましたが
瞑想を本当の意味で理解されてる人は、まだ少ないのではないでしょうか?

私は、ヴィパッサナー瞑想には「人生に直結する、あまりにも深い面白さ」があると思っています。

また、瞑想的な感覚の使い方や実践方法は、人々の生活の中でも自然と発揮されています。
「安心した中にある、自発的な直感の感覚」とでもいいましょうか。

スポーツの世界や経営采配の時など、大きな決断を瞬時にするシーンなどでも
それが垣間見られる場合があります。


たとえば、日本では武道などを例にすると
鍛錬を積まれた方は頭で考えず、内側に集中し五感を越えたところに軸を持つと思いますが

内側に静寂を感じたその瞬間、頭で考えてるものや、不安や期待の感情とも距離を置き、
身体の感覚をも一歩離れて捉えれた時に、ここぞと鋭い一本がとれる。

内側に、何にも動じない軸を感じるその前には
雑念から離れている隙間の空間を見い出せてるのではないでしょうか。

瞑想とは、至福感を感じるだけのことか?と尋ねる方もいますが
それは瞑想の恩恵の一つなだけであり、そこに向かうことが目的ではありません。

目を瞑って座ることで、この内側に隙間ができることを再確認し、離れる訓練をしているのです。

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