IMYA「気づきの合宿」を終えて<参加者さんのご感想>

9月27日~10月6日にかけて、IMYAでは「気づきの瞑想」合宿が行われました。
ご参加下さったみなさま、本当にありがとうございました!

1日のスケジュールをこなすと、10時間の瞑想ができるメニューに
真摯に向き合い、一つ一つ丁寧に過ごされる参加者さんの姿に
私もたくさん学ばせてもらい、感動しました。

Mami先生のお陰で、サロンのメンバーさんと共有したいと願っていた
外側も内側も「沈黙」して取り組める場を、今回叶えることができました。
本当にありがとうございます!

お一人お一人にとっても、この合宿がきっかけとなって
より瞑想の奥深さを本気で学んで「自分自身のことをもっと知ってみたい!」と
そう思える実体験をしてもらえたと思います。

IMYAでは、知識では限界がくる真理の体験の場を
たくさんお届けできるように、もっと取り組んで行けたらと思っています。

参加する前はとても緊張されていた方から
「次はもう少し長く参加したいと感じました」という
嬉しいご感想もいただきました!

ぜひ、またこのような合宿が開催できる様に
計画を進めて行きたいと思います。

その時を、ぜひお楽しみにしていてください☆
ありがとうございました!

 

参加者さんのご感想(一部抜粋)

参加の目的は?

・家では瞑想の時間が長く作れないこともあり、瞑想合宿で思う存分に長時間の瞑想を体験してみたかったからです。

・ボディスキャンで身体の繊細な感覚をみることでした。

・自分と向き合い自分を知ること

・家での瞑想に行き詰まりを感じ、今回瞑想に集中する時間を体験したく参加しました。

・とにかく瞑想に集中出来る環境に身をおきたかった。そして、集中して観察するとは?という事を実体験として経験してみたかったので参加しました。

・体験して理解したいことです

その目的は達成されたか?

・食事や身の回りのお世話もしていただき、会話も控え、スマホからの情報もなく、リラックスして瞑想できる環境でした。本当に感謝しています。

・まだまだでしたが、普段自宅での瞑想より、丁寧にみることはできました。

・妄想の中に生きていること、妄想で自分を満たしたつもりになっていること、思考は信用できないと頭では分かっているつもりが、信用できる思考を探そうとしていたことに気が付きました。妄想とリアルの区別がハッキリしていなくて流されていると分かりました。

・はい、瞑想だけの時間をいただき、本当に有り難かったです。同時に日頃、あれもやらなきゃ次はこれも…と外側に翻弄されている事も改めて実感いたしました。

・はい。途中、色々あり参加が難しい状況になりましたが、参加出来ましたし、デジタル等、外部の情報は遮断する(=外側から内側に向く)ので、いかに日常で無意識に外側に向いてる事も実感出来ました。

・24時間と短い間でしたが思考ではなく、内なる本質に向き合う事ができました。

実際に参加して目的以外に何を得られたか?

・真美先生の朝の講話(慈悲の瞑想?)で、瞑想で自分に向けている意識を少し外へ向けてみましょう…の言葉から、1人で生きているわけではない、周りの方々のおかげで生きている、あたりまえなのですが、改めてそのお言葉を聞いて感謝の気持ちが湧いてきました。その後の自室での瞑想で、自分の中で気づきがあり、涙が溢れてきました。1人で泣ける環境にも感謝だと思いました。

・沈黙により、外側ではなく自分に意識を向けることがスムーズにできた。
心をこめて、床の間に生けられた花と空間に清楚な気持ちで座ることができました。

・今まで以上にリアルの感覚が腑に落ちました。妄想だらけのなか、妄想→反応→感覚がひたすら続いていること、そこからリアルの感覚や呼吸に戻った時の安心感と寛いだ感覚を体感で知れたので、これからの瞑想や日常生活も変えていけると思います。

・自分が思っている以上に、外側を気にし、頭で色々考えて妄想して、それをリアルだと思っていたんだと気付かされました。

・どうしても1人だと甘えも出てしまい、体の痛みなど不快になったら動いてしまう時もありましたが、本来のヴィパッサナー瞑想である「動かない」事を実践した事により、「どんなに苦でもやがて消え去る」という事、すなわち「離れて観る」という感覚を垣間見る事が出来ました。

・瞑想を身体をとうして感じることの大切さを実感しました

合宿に参加しなければ気づかなかったことは何か?

・こんなに長時間の瞑想は初めてで、最初の方は思考が出てきても呼吸に意識を戻せていたのに、だんだんそれが難しくなっていき、苦しい瞑想になっていきました。最後のグループ瞑想では足が痛くなり、「痛み、痛み」と心のなかで言っていて、意識が別のところへいっていた時に、あれ?痛みがないと気付いたんですが、その後また痛くなり…でも我慢できるくらいの痛みになったので観察していました。グループ瞑想だったから踏ん張って痛みに向き合えたと思います。

・なんといっても、長時間の瞑想!!のチャレンジです。(10日の瞑想合宿って?)を垣間見させていただきました。自宅でも1時間くらい座れる時もあるのですが、、結構真剣に、ボディスキャンで繊細を見ようとしても
ほぼ毎回、なんか?表面的?な感覚だったり、しんどくて、無意識に落ち着く方にシフトしてたり・・

・質問2)3)と同じです。毎日瞑想を続けていますが、日々の中でする瞑想と違って、日常生活から完全に離れて瞑想だけ、自分と向き合うだけの時間を持てて本当に良かったです。

・自分が思っている以上に、外側を気にし、頭で色々考えて妄想して、それをリアルだと思っていたんだと気付かされました。

・自分がどんな事を考えているのか?に気付きました。
また、日常でいかに不快を解消しようとしてるのか?が分かりました。

・まずは実践します、さらに実践します、そして実践します

参加しないという選択をしていたら、得られなかったことはどんなことだと思うか?

・上記のこと以外には、合宿に参加という行動をおこすことで関わる人達、例えばバスや電車で一緒になった人達に気付かされたこと、感じたこと、勇気を出して知らない人に声をかけ道を聞いたこと、普通の生活をしていたら得られなかったことです。私にとっては大冒険でした(笑)

・ほんとうに、正直に申しますと・・結構長く座ってもそんなにいつもと変わりなく座れるのでは と思ってました。で、、ボディスキャンに集中できると・・思い違いも甚だしく、、
長時間座ること、瞑想の修行の一端を 身をもって体験させていただきました。

・参加しなかったら、自分の事をよく理解できないまま前に進めず、妄想に反応し続けて振り回されるのが、より続いたと思います。妄想に気づいてリアルに戻ることで抜け出すことができると経験できたことは、これからの生き方に大きく活かせると思いました。

・”自分の瞑想はよくやっている”という勘違いをしたままだったと思います。
参加しなければ、瞑想はピアノやスポーツと同じ、という意味がちゃんと腑に落ちなかったと思います。毎日コツコツ、競う相手は外側ではなく自分だと感じました。

・上記全てにおいて自覚する事が出来ましたし、参加出来たのも自分1人では参加出来なかったので、協力して頂いた事に感謝ですし、そうなるよう「流れ」がある事に気付きました。

・瞑想の実践していく内に自己流による実践になってしまいます。思考では理解していますが、身体を通して理解していないことを知ることです。

  • 関連記事
  • おすすめ記事
  • 特集記事
PAGE TOP